手術の日の朝が来た。
出来る限り早く手術したいということで、執刀医が在籍の日に急遽組まれた手術。
時間は手術室が空いたら呼ばれるオンコール。
それだけ緊急性が高いということだった。
10:30頃にコールあり。
当初の予想より早くて夫はまだ到着していない。
すぐに連絡をしてダッシュできてもらい、ギリギリセーフ。
パパがいるといないでは娘にとっても私にとっても違うので、間に合ってよかった。
手術室まではパパの抱っこで移動。
向かいながら
「手術終わったらご飯食べようね!チャーハン!パンでもいいかな!」
と、食べ物の話。
大きな手術を控えているなんて感じさせない。
その逞しい姿にこちらが支えられていた。
手術室の最初の入り口に到着。
この先からの付添いは1人のみということで娘に聞いたら
「パパ!」
入院してからはずっとママばかりだったから、本来のパパっ子の姿を見られたようで嬉しかった。
パパが帰ってくるのを待っていた場所には
その日の手術の予定が掲示されているモニターがあった。
年齢を見ると高齢者が多く若くても40代ぐらい。
その中で娘の“4歳”は身震いするほど若かった。
イヤ、若いなんてもんじゃない。
恐ろしいほどに幼かった。
そんなことで胸が潰されそうになっていた頃、パパが戻ってきた。
最初の入り口まで笑顔だった娘も、パパと2人になった後は
ものものしい雰囲気に泣いてしまったということ。
でもすぐにパパの抱っこの中で吸入タイプの麻酔が施され眠ってしまったそう。
よかった…。怖さは少しでも少ない方がホッとする。
待っている間は夫と病室の片付け。
手術当日の夜はICUで過ごすのでその1日は今までの部屋は空けなければいけなかった。
次の日にはまた病室に戻るので荷物は車へ一時移動。
たった1日のために面倒くさいなとは思ったけれど、やることがあると気は紛れる。
片付けを終えてもまだ待ち時間があったので夫と2人で話をした。
考えてみれば緊急入院の日からゆっくり話す時間なんてなかったので、貴重な時間。
娘のこれからを支えていくうえでこういう時間も大切だと感じた。
途中「無事に進んでいます!」と報告がありひとつ安心。
その後も順調に進み大体予定通りに手術が終わる。
「無事終了」
の知らせにまたひとつ安心した。
手術直後にまずは執刀医からの話があった。
・腫瘍はやはりびまん性で脳幹内部にベタベタにこびりついていて到底取り除けるものではなかったこと
・手術自体は脳幹を傷つけることなく無事にできたこと
まずはこの2つ。
続いて病理の話になり、初見での腫瘍グレードについて記された1枚の用紙を手渡された。
私は驚いた。
手術以前にいつも担当してくれている小児科の医師に
「確定診断がでるまで腫瘍のグレードの話は聞きたくないです。」
とお願いしていたからだ。
それは、手術直後は悪くない話で期待してしまったのに、結局綿密な検査の結果最悪なものだったら堪えられないと思ったからだ。
もちろんこの説明もきちんと付け加えお願いしていた。
でもこのお願いは執刀医には伝わっていなかった。
執刀医は間もなく続ける。
私も止めることができないまま聞くことになってしまった。
初見の病理検査では、グレード2のグリオーマ。
「えっ?もしかしたら典型的ではないかもしれない。
もしかしたら化学療法が効くかもしれない。」
こんなことを聞かされたら期待が膨らんでしまう。
これで確定診断が悪いものだったらどうしよう…。
様々な感情が身体中を駆け巡っていた。
続いて準備が整ったICUへ。
入口の扉が開いた途端に娘の泣き声が聞こえた!
「元気だ!心菜は元気だ!」
とひと安心と同時に涙があふれた。
娘のベットは広いICUの一番奥だった。
なのに泣き声が入口まで届くほど、娘は力強かった。
娘と対面出来てホッとしたのもつかの間、予想外のことが。
術後は安静が必要で尿管を入れる予定だったに娘は全力でイヤがったため、急遽紙オムツを準備することになったのだ。
病院ではなくこちら側で用意しないといけないため夫に娘を託して買物へ。
ICUは付添ができず面会時間も限られているため、この日はこのオムツを届けたら夫も私も帰宅予定だった。
しかし病院へ戻ると更に事態が変わっていた。
予想以上に泣く娘。
尿管も拒否。
静かに寝てもらうための鎮静も効かない。
ICUには重篤な患者さんも多く娘ばかりを診ていられないからと、ICU側から要請をして、急遽小児病棟へ戻ることになった。
小児病棟はほぼ満床で部屋が空いていなかったらしく、ナースステーション裏の部屋になんとか入れてもらうことになり話は整う。
ずっとベッタリだった娘を1人にするのも心配だったし、順調に回復したこともよかったけれど、こちらは付添い準備や諸々手はずが整っていない。
私はまたも夫に娘をお願いして準備のために一旦帰宅。
息子と一緒にシャワーに入り
「今日いるはずだったのにごめんね」をして
息子は私の父母にお願いをし
病院へ戻り、夫と交代をした時には21時をさしていた。
さて、娘はというと、なんとオムツも拒否。
結局部屋にポータブルトイレを置くことになり、都度抱っこして対応となった。
いつも以上にご機嫌が悪く正直大変な夜となったが
手術直後でも“らしさ”が健在であったことは心底嬉しかった。
これが娘の強さだ。
手術を頑張ってくれてありがとう。
ICUを追い出されるほどの元気をみせてくれてありがとう。
こうして長い1日が終わった。