2019.9.18【大事MANブラザーズと治験のための東北】

今日は夫と治験の話を聞きに行く日。

場所は東北の仙台市。

最寄りの駅からはうまく乗り継いでも3時間以上。

病院からの移動だとさらにかかる。

よって早起きの、早出。

段取りは先日のセカンドオピニオンの時と同じ。

早朝から母に病院に来てもらい心菜の付添いを交代。

自宅には父に行ってもらい、息子のことをお願いした。

6:30には病院を出発して

駅で夫と待ち合わせし

新幹線を乗り継いで仙台駅まで。

心菜が泣いていてことは胸が痛いけれど

先日のセカンドオピニオンの時と違い

今回は「今ある治療の話を聞く」ことが目的だ。

「治験」とは言えど

治療法がないと言われている私たちにとっては一筋の光。

行かないという選択肢はない。

東北の病院に到着して受付を済ませ呼び出しまで待つ。

この時、先日のセカンドオピニオンの時と同じようにお腹が痛くなり、トイレに駆け込んだ。

これまでの人生の中で緊張でお腹をこわすことなどなかっただけに

心菜の病気のことは、私の心身に大きな影響を及ぼしていることがわかる。

治験担当の医師は脳外科医。

とても穏やかで丁寧な印象だった。

改めて病気のことを詳しく話してくれた後

治験の説明に入る。

頭蓋骨に穴を開けて、脳に管を通し、腫瘍に直接抗がん剤を入れる…

と、素人が聞いても難しく怖い手術だと分かる。

医師は手術で見いだせる「かも」しれない効果だけではなく

リスクもきちんと説明してくれた。

また、治験を受けられる病院は東北だけではないことも教えてくれた。

医師との話を聞いてから足早に帰宅の途へ。

病気前の心菜は1人でも祖父母の家に平気で泊まれた。

お留守番も祖父母がいれば平気で、むしろ楽しみにしていた時があったほど。

でも、入院してからは違う。

私から離れられなくなった。

すごくパパっ子だったのに

長時間の付添いや、まして泊りの付添いなんて

絶対にママでなければダメになった。

その心菜が今はじいじばあばと待っている。

心菜の不安を考えると

一刻も早く帰る必要があった。

心菜は前回のセカンドオピニオンの時と同様に、エレベーターの前で待っていてくれた。

母(ばあば)の話では、夕飯までは弱音もはかず理解して待ってくれていたようだが

夕飯後に限界がきたらしい。

そこからはずっとエレベーターホールに待機。

そんなにママを必要としてくれてありがとう。

その後2人でシャワーに入った時は笑顔になって、色々とお話をしてくれた。

よかった。

心菜就寝後に担当看護師さんがきた。

後日予定されている、保育園の先生も含めた復園面談で参考にするアンケートの話。

園側には病院側からどこまで説明しますか?

お母さんとしては園にどこまで話しますか?

復園に向けて必要な面談だということは分かっているし、ありがたい。

ただ、そこには目を瞑りたくなるような現実も並ぶ。

それがとてもしんどかった。

リスクを考えたら簡単に決められない治験のこと。

病院に戻ると現実の話。

頭と心がパンパンだった。

それにしても、行先の滞在時間より圧倒的に長い移動時間には考えさせられる。

限られた時間の中で、できることをしていかなければならないのだから当然といえば当然なのだが…

常に気持ちがギリギリの中のことなので疲労感は半端ない。

それが、重病の子どもを抱える中でのセカンドオピニオンの現実なのだと思う。

いろんな気持ちが入り混じる。

そんな中、今朝駅に向かう車の中で聴いた歌を思い出した。

“負けないこと

投げ出さないこと

逃げ出さないこと

信じぬくこと

ダメになりそうな時

それが1番大事”

大事MANブラザーズバンドの『それが大事』

心菜は負けてない

心菜は投げ出してない

心菜は逃げ出していない

本人が立ち向かっているんだ

だから母だって負けてはいられない

立ち向かい、信じぬく

絶対に大丈夫!

1日待っていてくれてありがとう。あなたのことはパパとママが全力で守ります。

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