リハビリ室へは行き帰り共に歩く!
リハビリはパズルを集中的に頑張る。
部屋に戻っても寝転ばず、パズルやDVD鑑賞。
お昼のシャワー浴後はプレイルームでDVD鑑賞。
放射線治療は順調で、鎮静からの目覚めも順調。
治療後のスナックタイムはおにぎりとお菓子。
すべてが快活な本日。
よい方向へ向かっているのが嬉しい。
嚥下機能に関しては、リハビリ中に
「ちゃんと確認できていないから少し心配だ。」
という話になり、念のため来週嚥下の検査をすることになった。
これはOTさんとリハビリ科の医師が心菜の様子をみて、相談して決めてくれた検査。
リハビリ科のチームは最初から最後まですごく私たち親子に寄り添ってくれ、心から支えられた。
夕方から医師とのIC。
昨日のセカンドオピニオンを受けての話し合い。
主治医は担当医から話を聞いてすぐに治験のことを調べてくれ、主治医としての見解を話してくれた。
手術内容、リスク、今までの成果など全てをふまえた上で
「賛成はできない」とのこと。
でも、もし治験を受けたとしたも
「今までと変わらずにサポートしていきます」とのことだった。
昨夜、治験のことを伝えた私が嬉々として見えたのか、担当医から話を聞いた主治医は
「期待を大きくしていたらどうしよう」
と心配だったらしい。
話をしたら、私が冷静に考えていたのでホッとしたとも言っていた。
現時点でなにかできる治療を見つけたとしても、医師も私も浮足立つことはない。
うまく言えないが、DIPG<脳幹部グリオーマ>というのは、それほどに難しい病気だということだ。
あと、デカドロン減薬のこと。
現時点では
「放射線の影響による脳の浮腫みを確認できていないので減薬できない。もしも減薬を考えるならばMRIを撮る。しかし、鎮静は1日1回なのでMRIを撮ればその日は放射線治療ができない。その分退院が遅くなる。それでもいいの?」
と言われた。
いつもついてきてくれる担当医は
「症状など、最近は臨床的に落ち着いきてるのでそれもありかもしれませんね」
って言ってたのにな…。
主治医は心菜のことを見にくることはないし、言い方も〈退院が遅くなる〉ことを人質にとったような言い方で、正直怒りの気持ちがわいた。
1日でも早く退院させてあげたかった私は、情けないことに意見を言うこともできなかった。
デカドロンの減薬に関しては、ここで詰め寄らなかったことを今でも後悔しています。
放射線治療に入るまでや、治療が始まってから出始めた斜視や頭痛を考えると、途中までは必要な薬だったと思っています。
副作用はありましたが
・症状の改善がみられた
・嘔吐が全くなかった
・頭痛も最低限でおさえられた
・薬の副作用とはいえ、治療中も気持ちよくご飯が食べられた
この点を考えると後悔はありません。
しかし、頭痛や斜視が和らいできてからの減薬は、様子をみながらしていってほしかった。
こう書くと全く医師のせいにしていると思われるかもしれませんが
私が責めているのは自分自身です。
私は病気と向き合うのが怖くて、患者会での交流ができていませんでした。
なのでデカドロンのことに関して経験者の意見を聞く機会がありませんでした。
また、この頃の私はまだ医師に遠慮がありました。
知識も経験もない人間が医師に強く意見することに躊躇があり、この時も踏み込むことができませんでした。
結局、心菜の減薬は退院と同時に始まったので、しばらくは肥えた状態が続きました。
いわゆる“ハネムーン期(症状が改善されている期間)”にデカドロンの副作用があったということです。
そして、心菜は再燃が早かったので、1番気持ちよく過ごせるはずの期間を、肥えた状態で過ごすことになりました。
心菜が心菜らしく過ごせた期間に
体が重くて自由に動き回れなかったこと、好きな洋服が着られなかったこと、など…
後悔してもしきれません。
今でも胸が潰されそうになります。
今は周りとの交流でデカドロンの知識が増え、また再燃後には私は医師に対してしっかり意見が言えるようになったので、この時の私の向き合いを悔やみます。
尚、このとき減薬したら絶対によかった!と思っているわけではありません。
「様子をみる」ということをしてほしかった。したかった、ということです。
初期のように、必要と感じるものでしたらこういう思いではありません。
ICの間、病棟保育士さんと待ってくれていた心菜。
なんとその間に私への手紙を書いていてくれた。
保育士さんの話では、言葉も全て自分で考えて書いていたとのこと。
文字や絵を描く意欲が戻ってきたことに感動した。
そして、この手紙は今でも私の宝物だ。
夕飯時に保育園の副園長先生が園からのプレゼントを持ってお見舞いにきてくれた!
恥ずかしかったのか、先生がいる時はひと言もしゃべらなかった心菜。
だけど部屋に戻ってから、プレゼントの服をだして
「明日はこの服を着たい!」
と話してくれて、先生が来てくれたことが嬉しかったのが伝わってきた。
心菜が快活な今日、嬉しいことは寝る前まで続く。
歯磨きとパジャマへの着替えを済ませベットでDVDを見ていた時、心菜が映像に合わせて踊りだしたのだ。
2年前に生活発表会の題目だった『ドンスカパンパン応援団』を踊る心菜。
少し前までは歩くこともできなかったのに、1人で立って左右の手足を動かして、踊ってる。
ビックリしたし、心菜の毎日の頑張りが報われていることがすごく嬉しかった。
心菜が明るくいてくれた1日。
周りの心菜への想いを感じることができた1日。
ありがとうでいっぱいだった。