2019.9.22【息子のこと】

心菜が入院した時、息子は1歳8ヵ月。

私が心菜の付添いをすることで

息子はパパとの男同士の生活に。

心配がなかったかといえば嘘になるけれど

大丈夫だとは思っていた。

なぜか。

それは私の育った環境にわけがあった。

私の母は、私が生後10ヶ月ぐらいの頃から体調を崩し入退院を繰り返していた。

父は仕事柄、仕事に出ると1週間ほど家に帰ってこられない。

兄と姉は同居の祖母や周りの環境でどうにかなったようだが

私はそうはいかなかったらしい。

その時にお世話をしてくれたのが父の姉夫婦。

子どもがいない伯父と伯母は、私を我が子のようにかわいがってくれた。

その証拠に、私は2人を

「お父さん、お母さん」

と呼んでいた。

おじさん、おばさん、と呼んだことなんて一度もない。

そして、2人こそが今は戸籍上でも親子の私の養父母だ。

その経験から、親がいつ何があるか分からないと思っていたし

寂しい思いはゼロではないけれど

誰かに愛情をかけてもらえる環境があればなんとかなると分かっていた。

だから私は、心菜も息子も

ママだけではなく、パパや祖父母がいればも大丈夫になるように意識していた。

子どもをママベッタリに抱えてしまいたい気持ちがなかったわけではないけれど

私になにかあったら辛くなってしまうのは子どもたちだから

みんなが愛情をたっぷり持ってくれていることを伝えたかった。

そのおかげか心菜も息子もパパっ子に。

赤ちゃんの頃から平気でじいじばあばの家に泊まれるようになっていた。

心菜が入院してから

息子のことはパパを先頭に周りにお願いすることが多かったけれど

きっと大丈夫だと思っていた。

というか、こちらが弱気でいると息子にも伝わってしまうから

息子に対してもぶれない気持ちを持とうと決めていた。

でも、やっぱり1歳。

ママを求めることはある。

週末外泊中はおんぶ紐でここにいることが多かった。

ここまで強気なことを書いてしまったが

息子に寂しい思いをさせていることに申し訳なさはあった。

だから、こんなことしかできないけれど

家にいる時ぐらいは息子との触れ合いは大事にしていた。

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