いつもブログをご覧いただきありがとうございます。
入院中のリハビリについて補足させていただきます。
リハビリでパズルをすることが多かったのはブログから伝わっていると思うのですが
「なぜ毎日パズル?」
と感じている方もいらっしゃるかもしれません。
まず、パズルは手先のリハビリになります。
心菜は手や指が動かせない時期があったので、指先で細かなものをつまむのは有効です。
担当PTさんは、パズルが始まると大体は自然に任せてくれていましたが
麻痺がある方の手を自然に使えるように促したりもしてくれていました。
また、シール貼りやアイロンビーズ、おままごとなどの時もありましたが
基本は心菜の希望するもので進めてくれました。
というのも、OTさんの気持ちとして
「塞ぎこんでいたここちゃんを自然と社会に誘導する」
ということも考えていてくれたからです。
入院当初の心菜は私かパパ以外とは話さない日々で
誰がきても後ろを向いてしまうし
医療者にも保育士さんにも
本来の姿を見せることはありませんでした。
そんな中、OTさんが初めて病室を訪ねてくれたのは放射線治療の前です。
そーとベットをのぞいてくれて
そーと心菜に話しかけてくれました。
でも、前述した通り当時の心菜は誰とも話さない。
それどころか新しい医療者には、文字通り「背中を見せる」毎日でした。
それでもOTさんは毎日毎日、心菜の顔を必ず見にきてくれました。
心菜が顔見せなくても
「また来るね!」
と笑顔と明るい声で接してくれました。
リハビリ室に通うようになってからは
「なるべく丁寧に向き合いたい」
と、できるだけ人が少ない時間を設定してくれました。
9時の朝一に始まっていたのはそのためです。
その想いが伝わったのか、心菜はOTさんには心を開いていきました。
ママ以外の付添いだと泣いていた心菜が
OTさんといる時だけはママがいなくても平気になりました。
気がつけばOTさんとは信頼関係が築けていたのです。
だから、心菜はパズルだけをやっているように見えて
実はその間に、OTさんは手指のリハビリを進めてくれていたし
「こっちの手も使おうか」
というOTさんの声かけには素直に応じ
声かけがなくても麻痺のある方の手を意識して使うようになっていたし
気持ちよく過ごせる空間を作ってくれていたから
PTさん、OTさんのリハビリもすんなり受けてくれました。
あと、もう一つ。
「お母さんの時間を作る」
というのも目的だったそうです。
パズルをする時は基本は心菜1人で集中します。
だから、私も1人の時間ができたのです。
隣にはいるんですが、私も別のパズルをする。
私にとっては集中できるパズルは気分転換になっていたので、気持ちを休めることができました。
当時の私は毎日にいっぱいいっぱいで
OTさんのその時の想いを聞いたのはずっと後のことだったのですが…。
毎日同じことを繰り返していたように見えたかもしれないリハビリ時間には
実はそんな物語がありました。
後に、そのOTさんは心菜との闘病生活において
心菜にとっても私にとっても絶大な信頼をおける人になりました。
医療者の中でずっと、最後の最後まで親の私と同じ方向を向いてくれていました。
私にとっては、心菜が旅立って3年半以上過ぎた今でも、大事な人です。