ICの後、娘の付添いを夫と交代して外出をした。
緊急入院後初めての外出。
・家で必要なことをする
・保育園との話し合い
目的はこの2つ。
車に乗っていつも娘が座っていたジュニアシートを目にしたら急に現実が襲ってきた。
驚くほどの震えと叫びと涙。
自分が崩壊していくのが分かった。
『イヤだ。心菜が病気だなんて、イヤだ。』
怖くて、苦しくて、運転できる状態に落ち着くまで時間を要した。
なんとか落ち着きを取り戻してから3日ぶりの我が家へ。
ここでもやはり現実が襲い掛かり、その場に崩れ落ちた。
今まで普通に過ごしていた空間を目の前にするとまともな精神状態ではいられなくなる。
そういえば
「家族4人で並んで寝ていたベットでは寝られなかったから、リビングの電気とTVをつけっぱなしにして寝た。」
と、緊急入院の日の翌日に夫が言っていたっけ。
現実に包まれるこの家で過ごすことは、苦しくて悲しくて寂しくて
夫は相当に辛かっただろうと感じた。
家で早々に用事を済ませたころ電話が鳴った。親友からだ。
私からの着信をみて連絡をくれた。
親友の子と娘は同級生で赤ちゃんの頃から仲良しだった。
だから彼女には話しておきたかったし、私自身も甘えたかった。
心菜のことをひと通り話すと
「大丈夫だよ!信じて!」
といっぱいエールをくれた。
その明るい言葉を胸に保育園へ。
園長先生は不在だったが、園長先生了承のもと心菜の状況を説明をした。
同席いただいたのは副園長先生と担任の先生。
それから、入園時から2年間担任で心菜が大好きな先生にも私の希望で立ち合っていただいた。
先生方は泣いてくれた。
担任の先生は
「気がついてあげられなくてごめんなさい。」
とも言ってくれた。
とんでもない。
担任の先生はずっと不安を抱えていた私に寄り添い、毎日丁寧に娘の様子を報告してくれ、一緒に心配もしてくれた。
小児科病院で「異常なし」と言われた時は一緒に安心してくれた。
謝られるどころかたくさん感謝している先生だ。
先生たちと私で泣くだけ泣いたが、この時点では生検手術の結果次第では話が好転する可能性もあった。
なので最後には
「ここちゃんなら大丈夫!!!」
と太鼓判をくれた。
元気印でとびきりパワフルな娘を知っている先生たちのエールは、私の大きな支えになった。
あと、これから我慢が多くなる息子のこともお願いした。
しばらくはママとはいられず、大好きなお姉ちゃんもいない生活。
先生方は
「息子くんのことはこちらでも精一杯フォローします!」
と言ってくれ心強かった。
話し合いを終えてからは息子のお迎え。
2日ぶりの息子も可愛くてたまらない。
これからしばらく小さな体と心でいっぱい我慢させてしまうことが申し訳なかった。
「ここからパパとの生活だけどよろしくね」
というようなことを話した気がする。
息子を連れて病院へ戻る。
小児科病棟は子どもは入れないので共通のデイルームで3日ぶりの家族時間。
点滴をしているけれど動き回りたい心菜と1歳8ヵ月の息子を追いかけまわしながらの夕食。
今までならば大変で深いため息が出てしまいそうな時間が、とてつもなく幸せだった。
今まで過ごしていた日常はこんなにも幸せだったんだ
ずっと、ずーっと、こうやって過ごしていきたい
見える景色が変わったことを心底感じた瞬間だった。