悲しい事実

心菜がこちらの世界で生きていれば7歳とまもなく5ヵ月です。

「赤ちゃんの頃の心菜ってどんなだったけな?」

となっても、もう6,7年前のこと。

すべてをハッキリと思い出すことはできません。

普通の子育てにおいて

1歳、2歳、3歳…とだんだんと大きくなるごとに、小さなころの記憶は薄れていきます。

でも目の前の大きくなった我が子を見ながら

「あんなこともあったね!こんなこともあったね!」

となんとなくと、時々明確な記憶のなかで思い出話ができたら

それで充分に幸せです。

だけど、心菜は

“今”

“目の前に”

いない。

なのに、記憶だけは平等に薄れていきます。

ときどき、病気が発覚してからのInstagramやブログを読み返すと

「あー、そうだったな。」

と思うこともあれば

「あっ。そうだったけ?」

と、自分の記憶がぼやけていることに気がつきます。

それが、だんだんと多くなってきて

最近、焦り始めています。

心菜が生まれてから一緒に過ごしてきた5年5ヵ月は私にとっては宝物です。

旅立ってからは成長した心菜で上書きされないから

その宝物はずっとキッラキラのまま。

それどころか、新しい思い出が増えないから

輝きは増しています。

だけど輝きに反比例して、記憶はぼんやりしてきている。

そんな悲しき事実に、最近気がつきはじめました。

心菜は生まれたときから芯をもっていた凄い子だったけど

闘病がはじまってからはそれはパワーアップして素晴らしかった。

そんな心菜に教えてもらったことはたくさんで

そんな心菜をしっかりとのこしておきたい。

記憶が薄れないうちに

しっかりとのこしておきたい。

だから、このブログを立ち上げました。

ブログとInstagramは毛色が違うから

昨年作ったInstagram版『ここなとママの377日』とリンクさせて進めていこうと思っています。

写真や動画を見るのがツライ…

は、もう通用しない。

記憶が少しでも明確なうちに綴っていきます。

Instagramのフォロワーの皆さま、あちこちすみません。

心菜の母親としてできることをやっていきますので

どうぞよろしくお願いします。

ブログ
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