私の姉が、すなわち心菜の伯母が
「何かあればそちらに行くよ」
と連絡をくれた。
心菜に姉の言葉を伝えたら
「塩おにぎりを持ってきて。作るのはばあば。」
としっかり注文あり。
心菜らしさは健在だ。
ばあばの塩おにぎりが大好きな娘。
姉もばあばも心菜のために準備してくれ、お昼前には届けてくれた。
いつものようにデイルームで面会して、塩おにぎりを食べる。
パンケーキも食べた。
私がしばし姉と話をしていても娘はご機嫌だ。
入院してからご機嫌ななめな娘だけれど、なぜか私の姉だと大丈夫。
昔からうまが合うみたいだ。
でも食べ終わって疲れてしまったのか、そのまま椅子で寝てしまった。
この日は久々にプレイルームで遊んだり、娘のおふざけがでたり
最近の中では快活な1日で、その姿が嬉しかった。
正確な日にちは覚えていないけれど、この部屋にいる頃に病院のソーシャルワーカーさんが冊子を持って訪ねてきてくれた。
冊子を開きながら、心菜が受けられるかもしれない制度や支援してくれる団体のことを話してくれた。
後々は大変お世話になったとてつもなく優しい男性ワーカーさん。
でもこの時の私は娘に起こっている現実が受け入れられず、冷たい対応をしてしまった。
「冊子おいていきますね。」
と柔らかな雰囲気で病室をあとにしたワーカーさん。
その冊子には
“身体障がい者” “小児ガン””
など目も耳も塞ぎたくなるような単語が羅列していた。
少しでも早く向き合えていればそれだけ娘のためにやってあげられることが増えたのだと思う。
けれどこの頃の私は向き合うことができなかった。
現実を薄目で見ながら過ごすことが精一杯の、弱い母だった。