2019.8.7【点滴の付け替え】

珍しく午前中からプレイルームへ行くという。

少し遊んでから、一緒にDVDを見る。

午後に私の実父と養父が一緒に来てくれた。

心菜にとってはじいじが2人。

心菜のこととは話がそれるけれど

この2人は義理の兄弟で、実父の姉が養父の奥さん。

養父は本来私とは伯父と姪の関係だが、数年前に養子縁組をしていたので養父。

といっても、私は養父を「お父さん」としか呼んだことがない。

私が赤ちゃんの時に実母が入退院を繰り返し育てられない時期があった。

その時に預かってくれたのがこの伯父伯母夫婦で、子どもがいなかった2人は私を実子のようにかわいがってくれた。

自然と2人を「おとうさん、おかあさん」と呼ぶようになり

実父母のところに戻っても、大きくなってもその関係は変わらなかった。

心菜は養父母にとって“初孫”でそれはそれはかわいがってくれたが

心菜が8ヵ月になった日に養母は旅先で急死。

83歳にして一人暮らしになってしまった養父と引越しを機に同居を始め、この頃に至っている。

心菜が緊急入院したときに気がかりだった一つが養父のことだったが

実父母・兄・姉と、私の実家陣が養父のことを見守ってくれていた。

だからこの日も実父が養父を連れてきてくれた。

お土産には心菜が好きなパンとケーキと、ついでに私がリクエストしたケーキも。

一緒に住んでいたから、どこかに行くといつも心菜のものも買ってきてくれた養父。

この日も同じだった。

早めのシャワーの後、今日は小児病棟でマジックショーがあった。

いわゆる慰問訪問だ。

病気発覚前はイベント事には嬉々としていた心菜だったが、入院後は違う。

薬の副作用で気分も波があり、なんとか連れていったという感じ。

鑑賞中はずっと私の抱っこだった。

夜ご飯は心菜が大好きなカレーで嬉しそう!

左手は麻痺があり、さらに点滴の針が入り包帯でぐるぐる巻きだったので

食べるのも、他のことも、なんでも右手のみ。

利き手だったので支障がなかったが、夕食の後に点滴の付け替えになってしまう。

理由は点滴の箇所が腫れてしまうから。

ここまで何回か差し替えなどで対処してきたけれど、腫れによる痛さが限界だったようで右手にチェンジ。

痛みは治まったけれど、利き手は包帯グルグルで使えないし、左手は麻痺でうまく動かせない。

不自由な生活に時おり怒り出す。

痛いのも不自由なことも、心菜がイヤなことは全部代わってあげたかった。

ついに明日は確定診断を聞くICの日。

どうか希望がふくらむ日になりますように。

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