今日から放射線治療が始まる。
時間は基本毎日15:00から。
放射線治療中は鎮静剤を使うため
固形物は6時間前から、飲み物は3時間前から禁止。
となると、9時までには朝食を食べ終え、お昼は抜き。
これが平日は毎日となる。
心菜にはしっかり説明をして理解はしてくれている様子。
文句はなにひとつ言わなかった。
心菜は赤ちゃんのときから話せば分かるという子で、納得しているかいないかが重要だった。
子育てが始まったときから “話して伝えること”を大事にしていた私と、それを聞いてくれる心菜。
赤ちゃんなのに⁉と思われるかもしれないが、出産をした産科では印象的な出来事もあった。
心菜が生後2日目のこと。
産科の看護師さんが心菜を抱っこして話しかけながら
「いつも目をみて話を聞いてくれる」
と言っていた。
赤ちゃんだってやっぱりそうだよね、と思ったことを覚えている。
言葉は話せなくても精いっぱいで意思は伝えてくれる。
それで納得しているのが分かるときは実行。
イヤそうなときはやめる。
だから大抵のことはグズルことはなかった。
言葉のコミュニケーションができるようになってきてからは尚更。
だから治療のこと、それに伴うことなど、ひとつひとつ理由も含めて話をしていた。
午前中に心菜が歩いている姿を見た担当医が
「まっすぐ歩けてるね!薬が効いてきたのかな!」
と言った。
緊急入院から約1ヵ月。
本来ならばすぐにでも放射線治療をはじめるべき病気だけど
生検手術と確定診断で日数を要し、お盆休みも挟んだので放射線治療が遅くなってしまっていた。
その状況をカバーしていたのがデカドロン。
腫瘍そのものに効く薬ではないけれど、入院当初の脳の浮腫みはとってくれているようで水頭症気味は落ち着いた。
そこでふらつきが改善したのではないかというのが担当医の見立てだった。
医師が考えていたよりもよい状態になっていたので、この日から急遽リハビリ室でリハビリができることになる。
毎日、治療の時間までは長いので、気分転換もできてちょうどいいなと思った。
実は、この日以前からリハビリの先生は毎日心菜に会いに来てくれていた。
女性の作業療法士さんと、男性の理学療法士さん。
本来の心菜は人懐っこいのできっとすぐに打ち解けたはずだが、入院中はそうはいかなかった。
毎日どこかで顔をだしてくれるのに、心菜はいつも塩対応。
時間があれば少しのリハビリも考えてくれていたようだが、コミュニケーションの「コ」の字もとれない状況だった。
それでもいつも「また来ますね!」と笑顔でいてくれた2人。
今日はその2人がいるリハビリ室に初めてこちらら会いに行く日になった。
この日は外泊効果か、朝からいつもよりご機嫌だった心菜。
車イスでのリハビリ室までの道中も、いっぱいお話をしてくれた。
でも、リハビリ室に着いてまたいつものようになってしまうかもしれない。
新しい場所だし、今までのこともあるし、心配だった。
ドキドキでリハビリ室に入ったが…その心配は無用だった。
心菜はリハビリをすんなり受け入れてくれた。
これは、今までどんなときでも会いに来てくれていた2人のおかげだった。
塩対応で見ないふりをしていたけれど、いつも気にかけてくれていたことを心菜はちゃんと分かっていた。
いつもの作業療法士さんは心菜が喜びそうなものを持って来てくれて、心菜はその中からパズルをチョイス。
集中してパズルを進め、その後の身体を触れてのリハビリもなにも言わず身をゆだねていた。
今まずっと会いに来てくれていたリハビリの先生。
寄り添いの気持ちは心菜へしっかり届いていた。
この日から旅立つその日まで、この作業療法士さんには親子共々すごく支えられた。
私と全ての喜怒哀楽をともにしてくれて、私以上に泣いたり怒ったりしてくれたこともあった。
心菜も名前を呼び慕い、この作業療法士さんのときだけは私がいなくても泣かなかった。
私たち親子にとって最高のパートナーとここで出会えた。
初めてのリハビリを終えたら、次はいよいよ放射線治療。
部屋に戻りシャワー浴をして、急いで準備を始めた。