15:00からだが、初日ということでちょっと早めに準備して治療室へ向かう。
治療には毎日担当医と病棟保育士さんが同行してくれることになっていた。
行きは車イスだが、鎮静をかけるので帰りはベットが必須。
そのベットを小児科病棟から運ぶのと鎮静剤の投与を担当医が、それ以外のサポートを保育士さんが担当してくれた。
放射線の特性上仕方がないことなのだが、放射線室というのは地下の奥にある。
病棟からの場合は裏道で向かうので一層薄暗い道を通り、そこからいくつかの扉を経て、やっと放射線室まで辿り着く。
その道中に恐怖が高まってしまったのか、はたまた初めて行われることが怖かったからなのか定かではないが、放射線室に入ったら心菜が泣きだしてしまった。
子の泣く姿は親として辛い。だからと言ってやめさせるわけにもいかない。大葛藤。
ここは私が踏ん張るしかなかった。
心菜を抱っこして、お話して、お気に入りのDVDをかけてもらって、泣き止むまで待つ。
そしてなんとか落ち着いたところで鎮静をかけた。
心菜はおっぱいが大好きで、1歳半で卒乳をしてからも、おっぱいをさわることは卒業しなかった。
4歳のこのときも寝るときは必ずおっぱいをさわりながら寝る。
入院してからは特にそうで、不安なときは抱っこでおっぱいが定番。心菜にとってママのおっぱいは精神安定剤のようなものだった。
抱っこしておっぱいをさわって安心してから鎮静剤を入れる。
私の胸元から手をぬいても泣かなければ鎮静が効いた目安だった。
鎮静されたのを確認してから心菜を機械のベットに寝かし、マスクをはめて、位置を定める。
放射線治療中は一緒にいることができないから、せめてと準備完了するまではそばにいさせてもらった。
セッティングが完了すると、いよいよ放射線治療が始まる。
部屋にいた技師さん、医師、保育士さん、私は一斉に部屋をでる。
心菜がひとりぼっちでいる放射線室の重くて厚い扉を閉めるときは胸が苦しかった。
技師さんが操作する部屋にはモニターがあり中の様子が見える。
そしてうっすら意識がある心菜の声も聞こえてきた。
「ママー。ママー。」
と呼んでいた。
薄暗い部屋で、顔にはマスクをはめて寝かせられ、どんなに不安だっただろう。
涙が溢れてきた。
初めての治療日ということもあり技師さんたちは丁寧に入念に準備を進めていた。
少し動いただけでもダメなのだろう。
技師も医師も何度か行ったり来たりし、途中鎮静も足していたようだ。
準備が整ったところでいよいよ放射線が始まる。
私は待ち合いのベンチに1人座りながらずっと泣いていた。
完治につながる治療だったら気持ちは違ったかもしれない。
でもこの放射線治療をしたからといって治るわけではない。
あくまでも今の状態を改善させるもので、腫瘍は消えない。
もしかしたら大きな効果はないかもしれないし、あったとしても残った腫瘍はいつか再燃すると言われている。
一体なんのために治療をしているのだろう。
どうしてこんな絶望的な病気があるのだろう。
様々な思いが頭の中をグルグルしていて、涙がとまらなかった。
治療の時間はほんの数分。
「終わった」の合図で我にかえる。
技師、医師たちとともに、一目散に心菜のもとへ向かった。
マスクを外してまだ寝ている心菜を移動用のベットに寝かせる。
技師さんたちにお礼と明日のお願いを伝え、部屋をでる。
ベットは医師が運び、誰も乗っていない車イスは保育士さんが運んでくれた。
私は心菜の手を握りながら移動。
みんなが心菜と私ができるだけ安心できる環境を整えてくれた。
病室に戻り鎮静があけるのを待つ。
ゆるやかに鎮静が効いている時間帯はすごく機嫌が悪い。
「おなかすいた!ごはん!おしっこ!」
などと泣き叫んでいて、こんなときは何を話してもダメ。
抱っこしてなだめながらしっかり目覚めるのを待つしかなかった。
私も放射線治療中に泣いて気持ちが落ちていたこともあり、泣き叫ぶ心菜にいっぱいいっぱいになり少し怒ってしまった。
辛くて頑張っているのは心菜なのにね…情けない。
鎮静が完全にあけてからはご機嫌になった。
心菜、頑張ってくれてありがとう。
この日、心菜とツーショットで写真を撮った。心菜のワンショットも撮った。
笑顔は封印だったけれど撮影にはこたえてくれた。
まぶたが落ちてきて、ムーンフェイスになった姿を見るととても辛い。
医学的な見解を見聞きすると苦しいことばかり。
だけど心菜はすごく頑張ってくれている。
だから、絶対に大丈夫!
絶対に前みたいに歩けるようになろうね。
元気なときの心菜に戻ろうね。
そして絶対に奇跡、起こそうね!
エイエイオー!!!