いっぱいいっぱいで、夜涙が止まらなかった日。
ここまで何人かの友人に心菜のことは話してきたのだが、ある遠方の友人から驚きの連絡があった。
脳幹部グリオーマが身近にあったからよく分かる、と。
友人の子の友達が心菜と同じ病気だったということ。
だから友人は私の状況を瞬時に理解してくれた。
そんなことってあるのだと驚いたと同時に、友人が言葉を選びながら返事をしてくれているのが伝わり、この病気の現実を思い知る。
そんな中、この日の心菜は鎮静あけまでのぐずりが強かった。
癇癪と表現した方が近いのかもしれない。
ずっと泣いていて、何をしても、何を言ってもダメ。
最初は普段通りに接していたけれど、暴れも加わり、ついに私が怒ってしまった。
最低だ…。
心菜は鎮静の影響でこうなっているだけ。
心菜は悪くないどころか、辛いのは心菜なのだ。
なのに怒ってしまった。
スッキリしてからは普段通り過ごせた。
でも、病気への現実直面と心菜への自分の態度が重なってしまったことで、グッと落ちてしまう。
いっぱいいっぱいになった私は、心菜が寝てから病室をでて、誰もいないデイルームで夫に泣きながら電話をした。
心菜への気持ちを共有できるのは夫しかいない。
その夫に今日あった出来事からうまれた私の気持ちをぶちまけた。
夫は静かに聞いてくれた。
夫は息子の寝かしつけがあったし、私も寝ている心菜のことが心配だし、一区切りついたところで電話をきる。
それを受けて夜中に夫からメールが届く。
『辛いのは心菜。俺らは痛くもかゆくもない。』
うん、そうだよね。
心菜が頑張っているんだもんね。
私たちが弱音なんて吐いている場合じゃないよね。
頑張らないとね!
と気持ちを奮い立たせる裏側で
分かるよ、分かる。
それは十分すぎるほどに分かってる。
だから心菜へ怒ってしまったことへ罪悪感がうまれる。
私は分かってるんだよ。
でも、毎日向き合っていると、分かっていてもできないことがあるんだよ。
それゆえに苦しみ
一緒にいたいのに逃げ出したいときもあるんだよ。
そんな自分が嫌いなんだよ。
と叫んでいる私がいた。
表現しようのない、やりようもない
そんな気持ちを抱えこんだまま眠りについた。
いつものように、心菜の隣で。