2019.8.28【ばあばの車イス】

今日は朝から積極的に歩く!

朝食時のデイルームには車イスではなく歩いていった!

病気になる前は当たり前だと思っていた “歩く” こと。

特に心菜は活発だったのでいつも小走りで、どこに行っても止まることなく動いていた。

それが病気になってできなくなって…きっと心菜が1番悔しかったと思う。

自ら歩くということは、それだけ症状が良くなってきたということなのかな。

嬉しい。

リハビリでは『ミッケ!』という絵本に夢中になる。

問題になっている対象物を写真から探す絵本で、なんと1時間も集中していた。

この本はこれからずっと心菜のお気に入りになる。

リハビリが終わってから珍しく午前中にウトウトしていた心菜。途中寝転ぶ時間もあった。

この日を含めて8回の放射線を終えていたけど、デカドロンのおかげか吐き気や食欲減退などの副作用はみられない。

食欲についてはデカドロンの副作用で絶好調だった。

でも、この日はウトウトゴロゴロもあり、鎮静後もいつもよりは寝ていた。

起きてからパズルを楽しむ時間はあったものの、夜ご飯はデイルームではなく病室を選び移動なし。

そして20時にはグッスリおやすみなさい。

体がだるいのかなあと、放射線の影響は感じた。

話少し変わり、よく病院にきてくれていた私の父と母。

この日は父が心菜の車イスのメンテナンスにきてくれた。

実は心菜が使っていた車イスはもともとは私の母のもの。

よくある大人用の車イスよりちょっとだけ小ぶりで、エンジ色。

心菜用に子ども用のものも検討しリハビリ時に試乗してみたけれど、肥えてしまった体には少し小さかったのか、心菜がいやがった。

だけど私の母、すなわち心菜のばあばの車イスは乗りよかったようで気に入ってくれていた。

その様子に母も

「心菜用に使って!」

と言ってくれて、心菜の車イスとなった。

病院でも外泊中でも同じものが使えて私もありがたかった。

ちなみに母は少しの距離なら杖などで移動ができて、お見舞いにくるときなどは病院の車イスを利用してくれていた。

以前もどこかに書いたが、私の父と母は自分のことはあと回しで人のことばかりで過ごしてきた人。

母は若い頃から自身が入退院を繰り返しながらも、姑と小姑3人をお見送りまでお世話をしていた。

皆のお見送りの後

「今度は自分が体悪くしたりして」

なんて言っていたら、父も母も相次いで心臓カテーテル手術をし、父もケガから手術と長期入院となった。

母も腰や足の手術が必要だったが、まずは心臓の様子うかがいで、この頃は様子見のような状態だった。

それでも

「やだね~。仕方がないね~。」

なんて明るく過ごしていた父と母。

だが、心菜のことは違った。

本当に辛そうだった。(だった…というのは、私は父母と心菜の病気のことを真正面から話していない。辛くて話せず、伝えるのは兄にお願いしていた。そして父と母も私にはあまり聞いてこなかった。)

車イスのメンテナンスをしながら

「なんで、心菜が…」

と泣き出してしまった父。

私も今までの父と母の姿を見てきて

「これからは自分のことだけを考えて穏やかに過ごしてほしいな」

と思っていたので…父の涙が辛く、苦しかった。

今日の心菜

・朝は意欲的も少し疲れ気味

・連日、3回目の浣腸成功!

・鎮静はすんなりとはいかずフワフワな時間あり

・おむつは今日も大正解

鎮静あけのおやつタイムは毎日のお楽しみ
珍しく病室での夕食
ブログ
スポンサーリンク
スポンサーリンク
シェアする
ココママをフォローする
スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました