2019.9.2【たくさん歩く】

外泊の効果か症状の改善か。きっと両方だと思う。

今日は朝から歩く歩く!

まずは朝ご飯を食べるためのデイルームまで歩いて移動。(補足として、食事は基本デイルームは継続中)

そして、リハビリ室までも歩いて移動した!

デイルームは各病棟のパブリックスペースだから、同じフロアで数十メートルほどの距離。

でもリハビリ室は、フロアや階どころか棟が違う。

病棟の4階から2階まで降りて、けっこう長めの接続廊下を歩き隣の棟へ。

隣の棟に到着したらまたエレベータで下に降り、そこから数十メートルでリハビリ室。

トータルするとなかなかの移動距離になる。

杖や押し車的なものがあれば多少は歩ける私の母でも、この距離は車イスが必要だった。(お見舞い時はいつも車イスでした)

心菜は道のりは分かっていたから、歩くのを選んだということは“歩ける”というそれなり確信があったのかもしれない。

入院して1カ月以上、車イスが主だった心菜にとっては相当な運動量だったはずなのに、歩きでリハビリ室までたどり着けた。

これは素晴らしいことで、リハビリチームのみなさんも喜び、心菜を褒めてくれた。

リハビリ自体も積極的で、ままごとセット、ボール遊び、パズルと立て続けに行う。

しかも、パズルは選んだ3種類を自分で全部バラバラにして、混ぜて挑戦し、見事な集中力で完成させた!

リハビリを終えてからはさすがに疲れてしまったようで、帰り道は抱っこだったけれど、朝から感動の連続だった。

病室に戻ってからもしばらくは抱っこのままお休みしていた心菜。

入院してから初めてこんなに動いたから疲れたよね。

ペース配分がまだまだできない子どもな面が、また愛しかった。

お昼前には復活しておしゃべり。

その後のシャワー浴、放射線治療のための鎮静、鎮静からの目覚め、すべてがスムーズだった。

放射線治療といえば、最初は治療の間、待ち合いの椅子で待っていた私だが、いつからか調整室に入れてもらっていた。

きっかけは忘れたが、治療中は調整室の中に入り技師や医師と一緒にモニターを見ていた。

患者の家族が入っていい場所なのか分からないが、扉はいつもオープンで中は覗くことができた。

それに、私がいることも誰もなにも言わなかったし、時には椅子も準備してくれた。

心菜と共に放射線室に入り、私が心菜を抱っこして放射線の機械の椅子に座り、心菜は私のおっぱいをさわりなが鎮静によって眠る。

おっぱいから手を離してもOKになったらしっかり眠っているということ。

みんなで心菜を丁寧に寝かせて、心菜の服や格好をちゃんとスタッフさんが整えてくれて、放射線用のマスクを装着して、寝かす位置を定める。

すべての準備が完了したら治療室を足早に出て、みんなで調整室へ。

技師さんは真剣なまなざしで動作をスタートさせ、医師も真剣な顔でモニターを見る。

私はその後ろからモニターの中の心菜を見つめ、祈る。

「どうか腫瘍が消えてなくなりますように。」

この病気においては、できる限り最大限の線量をあてても腫瘍は縮小するだけで無くなるわけではない。

そんなことは十分に理解している。

でも、絶対はない。奇跡が起きるかもしれない。

腫瘍が消える絵をイメージしながら、強く強く祈りモニターを見つめる。

放射線治療が終わったらまたも足早に皆が心菜のもとへ。

機械のベットからストレッチャーにお姫様抱っこで医師が移動してくれて、寝ている心菜の手を握りながら病室に戻る。

これを心菜は理解し、毎日頑張ってくれ、携わる方々も皆全力でサポートしてくれた。

夕方もご機嫌よしは継続。

いつも夕飯時にきてくれるじいじばあばがそうとう待ち遠しかったらしく、エレベーターの前で待つという。

そんなことは初めてだし、待ってるときは笑顔があふれて私とのツーショット写真も応じてくれた。

2人で変顔

1日を通して快活だった心菜。

母は、嬉しい。

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